トイレ掃除201|朝活129|『致知別冊「母」2021』より

【トイレ掃除】

本日は最新刊『致知別冊「母」2021』
是松いづみさんの「こんなに可愛いっちゃもん、いてくれるだけでいい
ダウン症の愛娘・梓からのメッセージ」より

梓からもらった二つのプレゼント

私の三人目の子・梓は、
生まれてすぐに救急車で
総合病院へ搬送されていきました。

夫も両親も、仕事や上の子たちの
世話で身動きが取れず、
たった一人病院に残された私は、
とてつもない不安と緊張の中で
母乳を搾って冷凍し、
それを梓に届けてもらうことしかできませんでした。

梓の心臓に穴が開いていたこと、
そしてダウン症であることを
夫から告げられたのは一週間後、
自宅へ戻ってからでした。

平成六年、
私が三十八歳の時のことです。

「私、教師を辞めなければいけないかしら」

最初に頭をよぎったのがこのことでした。
長年小中学校の教壇に立ってきた私は
その頃、日々の激務に気力も体力も使い果たし、
自分はこの仕事に向いていないのではないか、と
悩んでいました。

けれども梓の障がいを知った時、
本当は自分が子どもたちのことも、
学校も、授業も大好きだということを、
ハッキリと自覚したのです。

私はこの気づきを、
梓からの最初のプレゼントだと思っています。
同時に頭の中には、
この子は学校でいじめられるのではないかしら、
友達はできるの、就職はどうなるの等々、
様々な思いが駆け巡っていました。
自分はこれまで学校で、
「みんな違って、みんないい」
「障がいって個性だよ」などと、
障がいを巡る現実も十分理解しないまま
綺麗事を言っていました。

けれどもいざ自分が障がい児の親になると、
「この子は生まれてこなければよかったのでは」と
命を否定することも考えていました……。

自分の中に隠れていた
差別や偏見に気づかせてくれたこと、
これが梓からの二つ目のプレゼントでした。

その日の夜、
私は地元福岡市のダウン症親の会の会長さんに、
近所で梓を預かってくれる
保育園を電話で問い合わせていました。

この子と共に生きていく──。

その時には、私の覚悟はもう定まっていました。
「いまは何もないやん。
何かあったら、その時考えよう」

梓が障がい児として生まれてきたことを、
私が思いの外早くに受け止められたのは、
学生時代に障がい児施設でボランティアを
経験していたことが一つの要因でしょう。
けれどもそれ以上に大きかったのが、
周りの人々の言葉でした。

自分が実際にその立場だったならばどう考えるのか。
人事ではなく自分事として考える。
いくら考えても100%自分事として捉えることは不可能だ。
それでもなお考えてみる。
そういった時間を与えてくれるのが読書だ。
致知という雑誌である。
先達から学び続ける。
読書は心の栄養だが、決して読書が目的ではない。
自分自身の生き方をアップデートさせていくため。
よりよく生きていくため。
人間らしく生きていくため。
率先垂範で示せる人間になるため。
・・・。
目的はもっと先にある。
手段と目的をはき違えることなく、読書を続けていく。

毎日トイレ掃除201日継続

上辺だけの言葉は軽い。
軽い言葉で人はついてこない。
人間として生まれた以上、言葉に重みのある人間でありたい。
やはり行動だ。
言葉に重みのある人間は、どこかにじみ出てくるものがあるのではないか。

朝活129日継続

朝6時前に起床し、長めの朝散歩に出かけた。
朝から暑い。
台風の影響か、風もあった。
空にはところどころ雲があった。

読書は心の栄養だが、読書が目的ではない。
読書を目的にしてしまうと頭でっかちな人間になってしまう。
読書は大切だが、けっしてそれが目的ではない。
読書の目的とは何か。
無論、仕事の力を高めるためである。
人間としてよりよく生きるためである。
言葉の裏に大きなバックボーンもち、言葉に重みをもたせるためでもある。
先達の生き方から学び、未熟者な自分の生き方を少しでも進化していくためである。

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