毎日トイレ掃除222|朝活150|命は|吾《われ》より|作《な》す

【トイレ掃除】

命は|吾《われ》より|作《な》す

『小さな修養論5』より

命は吾(われ)より作(な)すとは、
運命は自分がつくる、
ということである。

自らの道を自ら切り開いてきた人は皆、
命を|吾《われ》より|作《な》した人である。

十歳で丁稚奉公に入り、
一代で大企業グループを創った松下幸之助さんは、
その最たる存在であろう。

ある年の入社式で、
松下幸之助さんはこう訓示している。

「君らな、僕がいまから言う
二つのことを守り通したら、
松下電器の重役になれる。

一つは、いい会社に入ったと
思い続けられるかどうかや。

入社したばかりの時はそう思っても、
嫌な上司に出会ったり意に沿わない仕事を
させられてもなお、いい会社に入ったと
心から思えるかどうかはすごく大事なことや。

もう一つは、社会人になって
お金が一番大事と思ったらあかん。

もちろんお金も大事だが、
お金はなくしても取り戻せる。

しかし、人生にはこれを失うと
取り戻すのに大変苦労するものがある。
それは信用や。信用を大事にせなあかん」

『致知』二〇一八年八月号連載
「二十代をどう生きるか」で、
長年松下さんに仕えた上甲晃氏が紹介した話である。

これに付言して松下さんはこうも言われた。

「人間、九割は自分では
どうにもならない運命のもとに生きている。
その運命を呪ってはいけない。
喜んで受け入れる。すると運がよくなる」

命は吾より作す心得を説いて含蓄深い。

「命」について安岡正篤師はこう言っている。

「人間が浅はかで無力だと、
いわゆる“宿命”になる。

人間が本当に磨かれてくると
“運命”になる。

即ち、自分で自分の“命”を
創造することができるようになる。

それを“命は吾より作す”という」

卓見である。

では、どうすれば人間を磨き、
自分の命を創造できるのか。

古来、多くの先哲が
そのヒントになる金言を残している。

『致知』特集に紹介した
袁了凡の話はその極致と言えるが、
これに加え、ここに三つの先哲の言葉を添えておきたい。

一は、人の生くるや直し——『論語』

人が生きていく上でもっとも大事なものは、
素直であることだ、と孔子は教える。

人間性、個性というが、
「性」の偏(立心偏)は、
心が天地に対してすっくと
立っていることを示している。

心が歪んだりねじ曲がったりしていると、
人間性も個性も発揮されない。

性格が歪んだ人は人生も歪む。
孔子が素直を重んじた所以である。

次に、性を尽くして以て命に至る——『易経』

ここでいう「性」は天から授かったもの、
持って生まれた能力のこと。

それをすべて発揮し尽くして
天命に至ることができる、というのである。

これは命を吾より作す上で
欠かすことのできない条件と言える。
多くの先達がさまざまな表現で
この大事を説いている。

坂村真民さんの詩にもこういうのがある。

なにごとも
本腰にならねば
いい仕事はできない
新しい力も生まれてはこない
本気であれ本腰であれ

最後に、このほど出版した
『生きる力になる禅語』に趙州禅師の話がある。

弟子が名僧といわれた趙州に、
「大困難がきたらどうしますか」と問う。

趙州はひと言「恰好」と答えた。

恰好とは「よしきた」ということである。

人生に起きる「まさか」に
へなへなとなってはいけない。

「よしきた」と応じる。

その姿勢こそ吾より命を作す根幹となる。
心したい。

何度読んでも胸につきささる言葉たちである。
まさに金言だ。
素直さや謙虚さを失ってはならないと改めて思う。
「そうきましたか」と、試練と思われるような出来事を楽しむ。
先達の考え方から学ぶべきことは果てしない。
不易と流行という言葉があるが、まさに不易の面だ。
何度も立ち返り考えさせられる。
どんなにAIが進化しようが、
人間として揺るがない、大切にしたい生き方がここにある。
何度も読み返したい。

毎日トイレ掃除222日継続

「2」が並んだ。
朝散歩は涼しかった。
これくらいの気温がちょうどいい。
昨日はカラスの鳴き声が激しかったのだが、今日は静かだった。
というか、カラスが見当たらなかった。
昨日はなぜあんなにカラスが鳴いていたのだろうか。
さて、今日もトイレはピカピカである。
ただそれだけである。

朝活150日継続

散歩後の朝読書。
出勤までただひたすらに本を読む。
それだけである。
たったそれだけのことだが、
続けていると、
いつしか見上げる位置までたどり着いている。
そんな生き方をしていきたい。

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