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20200518 片目が見えなくなった時のこと

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片目が見えなくなった時があった。

真っ白な膜で目が覆われたのだ。

中学3年生の時の出来事であった。

当時、私は体育の授業でサッカーをしていた。

至近距離で友達が蹴ったボールが目に直撃したのだ。

すぐに保健室に行った。

先生に目が見えないことを伝えた。

地元の病院では治療が難しかった。

大学病院でレーザー治療等を行うことになった。

治療後も数年の間は定期検診が必要になった。

目が見えないことの恐怖を感じることはそれまでに一度もなかった。

生まれてからずっと目が見えて当たり前だった。

だから目が見えない、などということを考えたことはなかったのだ。

もしかしたら学校の授業などで、目隠しをして目が不自由な人の気持ちを考えるなどの体験をしたかもしれない。

だがそれは、本気で目が見えない恐怖を感じるものではない。

もし○○だったら・・・。

そう想像することができるのが人間のすばらしさだ。

けれど、実際に身をもって体験した人にしか本当の気持ちはわからない。

だからといって、想像したり人の気持ちを考えたりすることをやめろというわけではない。

想像してわかったつもりになってしまっているかもしれない、ということを自問することも必要だということだ。

当時、両親は心配しただろう。

自分の息子の目が見えなくなるかもしれない、という場面に遭遇したのだから。

ありがたいことに視力は回復し、その後の生活に支障なく過ごすことができている。

本当にありがたいことである。

有ることが難しいと書いて『有り難し。』

先日も『ないもの探しよりも、あるもの探し。』と書いた。

それに付け加え私の好きな言葉がある。

『抱えている問題を数えるな』『与えられている恩恵を数えよう』

生きていく指針の一つである。

生まれてずっとほとんど目が見えなかった人が、医療の進歩により視力が40倍も回復したときに次のようなことを言っていたと聞いたことがある。

食器洗いをしていて、泡の中に虹ができていたの。それを見て、見えることに心から感謝した、と。

もって生まれたものをどう生かしていくのか。

もって生まれたもので、それがもしもなかったらと考え想像してみる。

ただ何となく過ごすよりも、今をそうやって考える時間に使おう。

今を懸命に生きよう。

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