毎日トイレ掃除316|決定と注意

【トイレ掃除】

毎日トイレ掃除316日継続

2021年もカウントダウン。
いったいどんな1年になるのだろうと、これまでにない不安を抱きながらスタートしたように思う。
あっという間だった。
だが、本当に様々なことがあった1年だったと感じる。
その中でも行動した。
それによって、素敵なご縁にも恵まれた。
自分自身をアップグレードさせることができた2021年だったように思う。
これからも自分自身を磨き高めていく。
トイレ掃除を始めた2021年も残りわずかだ。

決定と注意

翁のことばに、百事、決定と注意が肝要だ。

なぜかといえば、何ごとによらず、すべて事は、
決定と注意とによって成就するものだ。

小さいことでも、決定もせず、
注意もしなければ、百事ことごとく失敗する。

たとえば一年は十二カ月だ。

そうして米は、月々にみのるものではない。
初冬の一カ月だけ米がみのって、
十二カ月米が食えるのは、人々がそうと決定して、
そのように注意するからできるのだ。

こうしてみれば、二年に一度、
三年に一度だけ米がみのったとしても、
人々がそのとおり決定して注意したならば、
決してさしつかえるはずがない。

およそ物の不足は、みんな覚悟しないところに
出てくるのだ。

だから人々の日ごろの暮し方にしても、
おおよそこの位のことにすれば、
年末になって余るだろうとか、
不足するだろうとか、知れないことはないはずだ。

これに心づかずに、うかうかと暮して、
大みそかになって驚くのは、
愚の至り、不注意のきわみだ。

ある飯たき女が、一日に一度ずつ
米びつの米をかきならしてみていれば、
米がにわかに不足することは決してない、といった。

これは飯たき女のよい注意だ。

この、米びつをかきならしてみることは、
一家の店卸しと同じことだ。

よくよく決定して注意するがよい。

『二宮翁夜話』

後先のことを考えるとも言える内容だ。
それを、決定と注意という言葉を使って記されている。
今の自分自身は、これまでの選択によってできている。
未来の自分自身の姿は、これからの行動の選択による。
今とかけ離れたところに、未来の自分の姿はない。

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