毎日トイレ掃除340日継続
あと1日で今年も終わり。
1年前の今、どんな日記を書いていたのだろうか。
以下である。
振り返ってみると、本当に小さなことだけれど、今年1年様々なことにチャレンジしたなぁと思える。
『あのときがあったからこそ、今の自分がある』
そう思える未来をつくっていくために、ただ今を懸命に生きていく。
時は金なりという言葉があるが、それよりも次の言葉の方がしっくりとくる。
『時は命そのものなり』
別の言い方をすれば、『Time is life.』
朝活233日
朝散歩&朝ヨガ&朝読書&朝スクワット
やっぱり朝がいい。
決定と注意
翁のことばに、百事、決定と注意が肝要だ。
なぜかといえば、何ごとによらず、すべて事は、
決定と注意とによって成就するものだ。小さいことでも、決定もせず、
注意もしなければ、百事ことごとく失敗する。たとえば一年は十二カ月だ。
そうして米は、月々にみのるものではない。
初冬の一カ月だけ米がみのって、
十二カ月米が食えるのは、人々がそうと決定して、
そのように注意するからできるのだ。こうしてみれば、二年に一度、
三年に一度だけ米がみのったとしても、
人々がそのとおり決定して注意したならば、
決してさしつかえるはずがない。およそ物の不足は、みんな覚悟しないところに
出てくるのだ。だから人々の日ごろの暮し方にしても、
おおよそこの位のことにすれば、
年末になって余るだろうとか、
不足するだろうとか、知れないことはないはずだ。これに心づかずに、うかうかと暮して、
大みそかになって驚くのは、
愚の至り、不注意のきわみだ。ある飯たき女が、一日に一度ずつ
米びつの米をかきならしてみていれば、
米がにわかに不足することは決してない、といった。これは飯たき女のよい注意だ。
この、米びつをかきならしてみることは、
一家の店卸しと同じことだ。よくよく決定して注意するがよい。
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